穹の籠の虜囚 〜大戦時代捏造噺
  


 どこの留置所も似たようなものか。いやさ、こっちでは何と呼ばれている部屋なのだろか。戦艦の内部に設置された仮の施設ならば、そこへと留め置かれる人の立場も多様だろうし、そうなると“収容所”と呼ぶものか。それともやはり、拘束を意味する鉄の格子が設置されている以上は“留置所”と呼ぶのかしら。何とも殺風景な室内を目にし、そんなこんなをぼんやりと思っておれば、

 「入れ。」

 乱暴に突き飛ばされるということはなくの、まずは端的な言葉だけで指示が出される。事務的で丁寧な方だよなと感じた。北軍
(ウチ)での捕虜への待遇規定なぞ、そういえば聞いたことがなかったが、それは自分が属していたのがそんな対処が必要な部署ではなかったからだ。前線に切り込んでって本隊が突入しやすいように戦端をこじ開けたり、はたまた敗走時に無為な犠牲を出しての潰走にならぬよう、逃げ道を作って誘導して差し上げるとか。そういうことこそが任務の斬艦刀部隊の人間なので、白旗上げた敵兵というものに出くわした事などなかったし。それでは、自分がこうなった時の心得とかってのはあったのかなと。そういったやくたいもないことを思いながらも、こんな場でごねて何がどう変わるものでなし、言われた通りに鉄格子の嵌まった部屋の中へと足を踏み入れる。捕らえられた折に、時間稼ぎの必要もあってのこと、多少は抵抗したのへ掴みかかられての擦り傷を、体のあちこちへ多少なりとも負ってはいたが、手当てをせねば死に至るというほどのそれでなし。

 “まずは尋問ってとこだろな。”

 その身を捕らえられ、斬艦刀の格納庫までへと引っ立てられてからのこれまでは、頑として口を開かずに通した。抵抗していた間に彼から殴り飛ばされたクチが、ちょいと向かっ腹が立ったか、生意気なと拳を振り上げかかったものの、

 『待たれよっ。』

 さして年嵩でもなさそうな男のそれだろう、それにしては威圧のかけようをよくよく心得ているらしき、鋭い声がピシリとかかり。その場にいた全員が一旦停止した威力は凄まじく。ずっと上の司令官からのお達し、その者は今より捕虜として遇すので、何人たりともぞんざいな手出しはせぬようと、滔々と告げた人物があって。このまま袋だたきかとの覚悟もあったが、痛い目に遭うことをわざわざ望んでいた訳でなし。ほぉとこっそり吐息をついたところをば、捕縄の手渡しという簡便なやりとりのみにて身柄を移され、こうして艦内の奥向きまでを連れて来られたは。北軍南方○○方面支部、空艇部 第2小隊所属の、七郎次といううら若き士官だ。金髪に肌の色も白く、瞳は水色といういかにも北領出身の風貌をした兵卒で、ほんの先ほどまで戦いを繰り広げていた戦域にて、南軍がその身を押さえていた北軍
(キタ)の上級将官を、その日のうちにまんまと奪還して行った隠密部隊の一員であるらしく。とはいえ、交戦中で浮足立ってたこちらの油断をつくというのが基盤骨子という、少々無謀な作戦だった上、

 “救出された将官とやらが、随分と足を引っ張っておったらしいからな。”

 脱出用にと秘密裏に揚陸着艦させてあった駆逐艇へ乗り込むまでに相当の時間を取られたは、ひとえに…その将官様とやらがへっぴり腰であられたからで。あとちょっとでこちらからの追跡隊がまんまと追いつけたところ、この彼がこっちへ向かって来ての大暴れをして時間を稼いだは、だが、彼らの打ち合わせになかったらしく。

 『…っ、七郎次っ!』
 『何をしているっ!』

 脱出機へ先に乗り込んだ仲間内が驚いたような声を放ったのへと、振り向きもせずに怒鳴り返していて。

 『私のことは捨て置いてっ! 早よう行ってくださいっ!』

 それでなくとも飛行速で生じる突風吹きすさぶ甲板の上だのに、身のこなしも至極軽やか鮮やかに。たった一人で押し寄せる十名近くの下士官との叩き合いを始め、そこから一歩も仲間らへ近づけることはなかった手腕はお見事で。仲間数名が乗り込んだ揚陸艦は、ギリギリまでその彼を待ちたかったかそれはじりじりと浮上していたが、そこへの座機銃の照準がこそりと合わされていることに気づいたらしく、

 『…っ。きっと、きっと迎えに参るっ!』

 それが彼らの司令官ででもあったのだろう。なかなかに味のあるいいお声が、切迫した想いと、なのに…聞いた者を余さず魅了するような響きで轟いたのを最後に、叩きつけていた風にとうとう負けたかと思わせるような掻っ飛びようで、後方虚空へと弾かれての退いてゆき。それを見送ったことで張り詰めていたものがとうとう途切れたか、こちらの青年もまた…案外と手古摺らせぬまま、がくりと膝を折ったのだが。

  ―― 単なる一空兵にすぎぬ七郎次とやら

 別れ際のあの言いよう通りに、彼を奪還しにとわざわざ再襲撃をしかける余裕。恐らく向こうにはなかろうと、気の毒ながらも断じていい。此処は一応、どちらの部隊も常駐してはない空域、しかも会戦を終えての帰還途中のこちらの陣営ではあるけれど。それを言うなら…その会戦にて大敗を喫し、艦隊もかなり打ち減らされてしまっている北軍に、こちらを追っかけて来て、今度こその殲滅を食らうほどもの逆襲に遭うような、火に油を注ぐような危険を冒す余裕はないだろうから。よほどの大物貴族の眷属だったのか、何とか頑張って奪還出来た将官殿はともかくとして。こちらの彼を取り戻しに戻って来るなど、まずはあり得ぬと。基地への帰還までの彼の監督を任された士官殿、報告書用のバインダーを手に、前後を下士官に挟まれるようにして連行されて来た虜囚の君へ、改めての視線を投げる。

 「…。」

 金の髪に真白き肌という、当人の持つ淡い色調がいや映える、いかにも雄々しき北軍の装備。ジャケット仕様の濃緑の上下と黒革の手套に軍靴を身にまとい、だが、見るからに判るような武装はしていない七郎次であり。腰へと携えていた軍刀は先程没収されたし、それを幸いと呼んだものか、敵艦内への潜入という小回りを利かせる必要の多かろう任に於いて、愛用の槍は不具合が出そうな気がしたので自軍の艦内へ置いて来た。乱闘の終盤、抵抗を諦めたことを示すべく、手にしていた小太刀も足元へと捨てさせられた。簡単なチェックで金物は身に帯びてないとの確認も取られたから正真正銘の丸腰状態。だが、
「やけになっての自害自損されても困るからな。」
 突き放すような言いようをした男の傍ら、随分と小柄な影が進み出て来たのへと、七郎次は“おや”と注意を留めた。途中で意識を失ってもいないし、それほどの時間経過もないのでまだ眠ってもいないから、ここは相手の戦艦内のはず。だというのに…その人物は、異様なくらいに幼くて。まだ幼年学校に通うくらいだろか、

 “こんな幼い子供を、会戦空域へも同行させるのか?”

 偉いさんの傍づきとか身の回りの世話係にという子だろうが、戦端が開かれたら上を下への大騒ぎになるのが戦場。そんな只中に置かれて、こういう子はどうやって身を守るのだろか。南軍はそうまで余裕があるのかな…と、そんなこんなへ気を取られておれば、

 「今から、その服を着替えてもらう。
  どんなささやかな刃物や金属片でも、
  はたまた送信機の類でも自決用の毒でも、持たせてはおけぬからな。」
 「…っ。」

 ははあ、それでこの子がと。人の着替えや何や、世話に慣れているから呼ばれたかと納得しかかったところが、

 「この者はこれでも相当な練達。
  ほんの先の会戦でも、
  空艇部隊の末席にてそちらの斬艦刀を何隻か沈めた腕の者ゆえ。
  よからぬ企み、起こさぬ方が身のためぞ。」
 「………はい?」

 すらすらと並べられた言いようが、語句としては聞こえたが、理解するのが…ちと難しく。ついのこととて、不謹慎な合いの手のような声が出てしまう。面と向かっている まだ若いのだろう係官殿の脇までしか背丈がない少年は、ふわふかな綿毛の額髪がふさりと覆う、賢そうなおでこの真下、目許に座った真っ赤な双眸も、まだその張りようが丸みがかっての愛らしく。柔らかそうな小鼻に上等な白磁のようなすべらかな頬。上唇の先がちょっぴりツンと尖っての、野ばらの蕾を思わせるような口唇…と来て、こんな小さい坊やが、斬艦刀を沈めた空艇部隊の人間だなぞと言われても。どこまで本気かと眉を寄せての怪訝そうな顔をしたところ、

  ―― ひゅっ・か、と

 それは鋭いかまいたち、剃刀のような刃の軌跡。その身のほんの間際に打ち寄せての、手元から上へ。旋風巻き上げて撒き起こり、まだ伸び切らぬのでと額へ降ろしていた七郎次の前髪を、ぱさんと軽々、舞い上げ舞い散らしたものの正体は、

 「………あ。」

 目には見えねど、その痕跡が確かに手もとに。一応の対処だろう、黒々とした鋼の輪、堅くて冷たい手枷を嵌めることで両手首が拘束されていたままだったのに。その継ぎ目のところ、頑丈そうな蝶番が真っ二つに離れており。くっついていた手へは羽ほども触れぬまま、なのにすっぱりと左右へ分かれたその合わせ目は、濡れた鏡のようななめらかさ。まるで柔らかな寒天をすぱりと切って開いたような見事な手際だが、

 「これは…。」

 両の手を呆然と見下ろし、その切り口と正面に立つ少年とを見比べておれば。体の側線へと添わせていた白い手を、片方だけ軽く脇へと浮かせ。指先へまとわした濡れた水滴でも振り払うかのよに、手首から先をブンっと振ったその途端。小さな手のひらへすべり出したのは銀の刃。どうやらその軍服の袖の中、前腕に添わせて小太刀を仕込んでいるのだろうと思われて。だが、

 “鋼を、それも一瞬の抜き打ちでこうまで断ち切れるとは…。”

 まさかと思うが、では他には誰が何をすれば、こんな仕儀を披露出来ようか。この気密性の高そうな部屋には彼ら以外に誰もいず、たかだか空兵一人を屈服させるためだけに、何かしら手妻めいた小細工なぞ、わざわざ設けるとも思えない。

 「成程、確かに練達には違いない。」

 これまでは、所属や名を聞かれても頑として口を開かなかった金髪の虜囚殿。まま、最初っから無駄な抗いなぞするつもりもなかったのでと、苦笑をこぼせば。それが了解したとの意として通じたか。

 「仕切りの衝立は入れてやるが、その坊主の目からは何物も隠すな。」

 これでも最低限のプライバシーやプライドは守ってやるのだ、ありがたいと思えとでも言いたげに。黒髪の士官が扉へと向かう。内側から大きく開かれたドアの向こうには、数人の係官が立っており、一人はそれへ着替えよという衣装だろう畳まれた布の何かを持っており。別の一人は布張りのパーテーションを小脇に抱え、そして最後の一人は…何やら重たげな鎖のようなものを持って来ていたが、
「…それは何だ。」
「は、拘束具と伺っております。」
 足枷だか手枷だか、どっちにしたって予定外の準備だったか、細い眉を尚のこと吊り上げた士官殿。いかにも単なるお使いらしき下士官へ、ふんと鼻先で息をついて見せる。
「要らぬ。」
「しかし…。」
 持ってゆけと言った相手もまた、その彼には上司か上官であるらしく、及び腰ながらも言葉を濁してしまったのへと、
「少なくとも、北軍の艦隊が自軍領域へ無事戻るまで、この男は騒ぎを起こすつもりはないらしいからな。」
 にやにや笑って言い放ったのは、その下士官に聞かすためというよりも、時間稼ぎにと居残った彼だってことくらいお見通しだと、七郎次自身へ伝えたかったからなのか。健気なことよとうっすら笑う様は、さすがに微妙にカチンと来たが、

 「という訳だから、それぞれ置いたら出てってくれ。」

 これ以上の誰かしら、此処へと居合わせないでいてくれたのは正直言ってありがたい。かち会う相手の誰でも彼でも、こちらのお顔をまじまじと見やるのが、そろそろさすがに居たたまれなくなってもいて。味方からの置いてけぼりを喰うとは、間抜けな奴めと腹の中で嘲笑されてもいるのだろ…というのはまだしも、なんて薄情な上官に使われているやら気の毒にという、同情の眼差しさえ混ざっているような気がして来るので、実を言えばそっちが辛い。ほれほれと追い立てているのと並行し、まずは衝立を格子のこちらへと持ち込んだのが、先程とんでもない腕前を見せてくれた金髪の坊やで。よほど躾け、もとえ、修練が行き届いていてのことか、無駄口ひとつ利かないところへ今更ながらに感心しておれば、

 「…脱げ。」

 寡黙なのはいいとして、口を開けば そうかこうまで無愛想かと、その落差が物凄く。手首へ残った手枷の残骸を、鍵を使ってまずは外して下さってから、上着にズボンにと脱いでゆくのを、いちいちはたいては衝立の外へと手渡してゆく彼であり。タートルネックのセーターとその下に着ていたインナーを脱ぐと、さすがに下履きだけは見逃して下さったか、着替えを…工兵の作業着のような簡素な服を手渡された。それへと袖を通しの、揃いのズボンも履いたところで、
「…。」
 監視役の少年兵が手を伸ばして来て触れたのが、うなじのところで一つに束ねて縛っていた金の髪へ。ただ束ねていただけの髪もほどかれての、結った中までを調べるらしく。その徹底ぶりに、ついのこととて…表情が少々強ばってしまった七郎次だったのは、

  ――カツン、と。

 妙に耳につく堅い音がして。はっとして見下ろせば、堅い質の足元、床の上へと落ちたもの、小さな楕円の金属板があったから。延ばした指2本くらいで易々と隠れそうな大きさの、いわゆる軍標という代物だ。名前や所属や軍のデータベースへの登録番号、血液型などが刻まれてあり、いやな例えだが、爆撃などで吹き飛ばされての衝撃を受けて意識がなかったり、万が一にも戦場で息絶えてしまっても身元が分かるようにいう標識でもあって。没収されぬようにと髪の中へ挟み込んでいたのだが、

 「…。」
 「…。」

 七郎次と少年空兵殿と、双方それぞれがきっと違った心持ちにてそれを見下ろしてしまった小さなプレート。こうまで晒されてはもはや隠し立ては出来ないが、もしも所属が割れての…例えば捕虜を楯にするよな作戦を構えられ。なんでたかが一兵卒のために手を引かねばならぬという、味方からの突き上げが起きて、勘兵衛に苦渋の選択を強いるようなことにでもなっての迷惑がかかったら? そこまでも考えてしまったその途端、それまでは飄々としていたものが、表情を強ばらせてしまった七郎次だったところへと、

 「…何だ? 今の音は。」

 格子の向こうから、気配だけを監視していたもう一人、彼こそがこの虜囚にまつわる全幅の責任を負うのだろう士官殿の声が届く。彼の耳へも響いたらしく、何か見つかったのかと訊いて来たのだろうけれど。

 「…。」

 少年は素早く屈んで、その軍票を手にすると…いきなりこちらの足の裏と床の間へ突っ込んで来たから、

 “え?”

 薮から棒とは正にこのこと。あまりに急なこととて、反射的に跳ね上げるように足を上げれば、それをどう解釈したものか、足があった辺りへぺたりとそれを置いて、屈んだまんまでこっちを見上げて来る彼で。

 「キュウゾウ?」

 それがこの彼の名前か、再度の声掛けがあったのへ、七郎次が我に返ってはっとする。いかがしたかと覗かれたら、せっかくの心遣いを無にしてしまう。そう、何だかこれはこの彼が故意にしていること、気を遣ってくれたような気がして来て、

 「…。」

 その赤い視線に促されるように、足を元の位置、軍票の上へと戻したところ、すかさずのように言い放たれたのが、

 「…なんでもない。俺の軍票
(プレート)が落ちただけ。」
 「何だと? ま〜たいい加減な付け方をしとったのか?」

 しょうがない奴だという語調の声がしただけ、動く気配はなかったので。ほぉと胸を撫で下ろしておれば、問題の軍票が紛れていた髪へ、ふわり、何かが触れる気配があって。身だしなみの一環として、櫛こそ通すがそれ以上の手入れはしない。されど質がいいのかクセもないまま、指通りのいいさらさらした金の髪。本当に金が梳き込んであるのではないかなんて、御主がからかうようなお言いようをされては、それでもその度 指を差し入れ梳いてくださる、気に入りの髪。

 「…。」
 「えと…。」

 背丈に差があるその上、結っていたとは言ってもうなじに垂れるほどの長さゆえ、間近ではないそのお尻尾。見上げる格好になっての白い手を延べて来ていた少年は、

 「…。」

 裾の側から手のひらへ、掬い上げるようにして持ち上げてみても…指の間を難なくすべり落ちてってしまう七郎次の髪に、余程のこと興味が起きたらしかったが。さすがに遊んでいられる場合ではないのは判っていたか、自分が引き抜いた髪止めをほれと差し出すと七郎次へと受け取らせ、
「大事にいたせ。」
 いや、だから髪をと言いたい彼なんだろなと解釈し、はいなと小さく微笑って返す。さらさらしているが故に肩へまといつくこともなく、胸元と背とへ適当に分かれて降りている金絲の流れ。それに縁取られた白いお顔へ、今 初めて注意がいったらしいキュウゾウ殿とやら。目許を細めてはんなりと微笑う敵軍の美丈夫へ、

 「…。////////

 今頃になって仄かに赤くなっている辺り。もしかせずとも、感受性の方向かそれともその優先順位が、少々ズレている彼なのかも知れず。まま、自分よりも立場の弱い者を意味なく嬲るような、そんな最低下劣なお人じゃないのは助かったなと、安堵の吐息をつきがてら、その肩をすとんと落とした七郎次だったのである。






  ◇◇◇



 格子の向こう、通路というよりも収容部分の空間を仕切った残りという感のある部分にも窓はないところから察して、此処は艦内でもよほどに奥まった場所なのだろう。とはいえ、航行のため稼働しているはずの機関の運転音も響いては来ないから、さほどに下層部の外れの方ということもないらしく。
「…。」
 そして、そんな残りの空間とやらには、紅眸の坊や…もとえ、久蔵という名の特待候補生とかいう幼い空兵が、簡素な作りの椅子へと座して常に捕虜の方を向いており。あまりに動かない彼なものだから、人形ではないかとか、特殊な訓練で目を開けたままで眠っているのではないかなんて、そんな気がして来てだろう、虜囚の君が じぃと見やると、

 「…。」
 「いえね、瞬きもなさらぬものだから。」

 何であれで“受け答え”になっているのかと、扉近くでのやはり張り番を担当している下士官が、小首を傾げている始末。彼にもまた、目を開いて眠っているのかと思えるほどに、身動きもしなけりゃ咳ひとつしない坊やだが、

 「…。」
 「私なんぞを見ていて、退屈が紛れるもんですか?」
 「…。」
 「ふふふ、妙なお人だ。」

 “いや、妙なのはどっちもだってば。”

 ついついツッコミを入れてしまっても無理はない。狭いところだから仕方がないっちゃないのでもあろうが、虜囚となっている彼の側も大人しいもので。木製のスツールが置かれてあったのには見向きもしないで、床の上へ敷かれた薄べりに直に腰を下ろしての、背後になる壁へと凭れてこっち側を見やっておいで。本当に時折、思い出したような間合いで交わされる
(?)会話だが、定時になって食事が運ばれて来ればもっと見もの。確か、一番最初の食事は、パンと汁もの、いつ揚げたのやら不明な揚げ物という取り合わせだったとか。それらの載った盆を、格子の下の隙間から差し入れられても手を伸ばさなんだ相手だったのへ、一体何を思ってか…こちらの彼が格子の隙間から手を入れるとパンを掴み、端を千切って自分が食べた。
『な…キュウゾウ?』
 監督官であるヒョウゴ殿が驚き、虜囚もあんぐりと口を空いてびっくりしていたようだったが、そんな彼こそが一番最初に我に返り、
『毒は入ってないと言いたいのですね?』
『…。(是)』
 何をしておるかと苦虫かみつぶしたようなお顔をしたヒョウゴ殿とは対照的に、こんな場でくつくつ笑う虜囚殿の方も大した度胸、それへも言葉が出なかったと、そのときの張り番だった仲間が皆へと語っていたっけ。
「今度のお膳はお魚ですか。」
 彼にはこれで四食目となろう二日目の昼食。小ぶりなアジの煮付けと青菜の煮びたし、麦飯に香の物とは名ばかりの、歯ごたえだけのたくわんが二切れ。虜囚だからという粗末な扱いではなくて、それが証拠に監視役の彼もが同じ膳を一緒に食すのが、今朝からの習いとなっており。やはり下の隙間から盆を差し入れて、そのまま見張りの彼も、格子の前へちょこりと座り込むのが、何とも異様な光景であり。しかも、

 「…あ、いけませんね。お魚は苦手ですか?」

 小さな空兵さんが飯へ煮びたしを鉢ごとぶっかけたのを見てだろう、虜囚の君がそんな声をかけ、
「ちょいとすいません。」
 身を乗り出しての箸を延ばして見せたのへ、何と監視の君が自分の皿を持ち上げて差し向けるではないかいな。格子の幅が邪魔をして、皿は中へは入れぬが、そこを器用に箸先だけを突き出して、
「こうやって、こう。まずは背骨に添わせて線を入れて。それからちょいちょいっと上と下へ開くんですよ?」
 動かぬようにしっかりと、両手で捧げられた角皿の上。丁寧に箸がつついた後には、それはお見事に骨から外された身だけが中央へと集まっており、
「あなたはまだまだ育ち盛りなのですから、お肉や魚は咬むのや骨とりが面倒でも、たくさんたくさん食べねばなりませぬ。」
「…。(頷)」
 淡い色合いの金髪に、玻璃玉みたいな透き通った双眸。色白な肌もよく似通ったるこの二人。会話だけを聞いている分には、たいそう仲のいい兄と弟のそれのよな。何とも気持ちのいいやりとりであったけれど、

 “…でもなあ。”

 鉄格子を挟んでの、立派に敵と味方な間柄だというのにね。しかもしかも、お世話したのが虜囚の側だってのも微妙なことならば、その彼がお節介にも大人としての苦言、つまりは“説教”を放たれたのへ、なのに素直に頷いたこっちの候補生さんも、
“もしかしてそれって問題なくなくないか?”
 いつもこの彼へと付いててござるあの御方。いつもいつも怒鳴っておいでのヒョウゴ様に、こうまで素直にしていた試しは、あんまりなかったように思うのだけれど…と思うにつけ。何だかなという会話を繰り広げて下さる二人なのが、何とも珍妙でならなくて。あの坊やがパンを齧った話を聞いたときはそんなバカなと信じなかったが、今なら重々信じてやれるし、この話も早いとこ、仲間内へ広めてしまいたくってしょうがない。そんなムズムズへの対処に大きに困ったらしき張り番の下士官殿だったりしたのである。


  「あ、小骨がありましたか? ご飯をお飲みなさい、早くっ。」
  「〜〜〜っ。」






  ◇◇◇



 こちらもまた、耳を澄ましてもその機関の駆動音さえ拾えないほど、それは静かに航行中の戦艦の内。居室としてあてがわれた室内には他に人影もなくて。手持ち無沙汰でいると気を利かせ、お茶でも淹れましょうかと声を掛けて来た、まだもうちょっと若葉マークを外すには蓄積が足りない副官殿も、今はいないのが何ともやるせない勘兵衛で。古めかしいデスクの上、その持ち重りのする大振りの拳を堅く握って据え置いたまま、何をか深く考え込んでばかりいる。
「…。」
 何とも苦い結末を引っ提げて、このまま本拠としている方面支部へと戻るのはどうにも気が引けた。いやさ、それはあり得ないことと、判断の全てがまずはそれを否定してしか、物事を考えられなくなってもいる。作戦自体は終了しているのだが、そんなことは知ったことではない。自分が小隊であれ部隊を預かる身でなければ、こんな風に考えあぐねている暇もあらばこそで単独行へと飛び出しているところだが、
“そんな“たら・れば”を持ち出しておる場合でもない。”
 もっと現実に即した考えようを、それもいち早くまとめねばならぬ。何か手はないか、何か、何でもいいからこの空域から反転しての、あの敵部隊を後追いするに足る理由はないものか。何となれば、独断で飛び出してってもいいところだが、先にそういう無茶をして、その際に置いてった副官からこっぴどく叱られたのも記憶には新しく。
“…その副官をこそ、連れ戻したいのだがな。”
 大体、何でまたあんな勝手な真似をしやった七郎次であったやら。居残らせるならいっそのこと、あの邪魔でしょうがなかった将官の坊ンをこそ、救出に失敗しましたと置いてった方がマシではなかったかとまでのこと。つい思ってしまっては、それでは本末転倒と、大きくかぶりを振ってしまうのの繰り返し。戦さ場に立つ もののふである以上、どうしても免れ得ない別れというものが付きものだというのは、嫌ってほど身に染みて判っているし、それへと未練を染ませ、いつまでも立ち止まったままでいることを、逝った者は望んではいないだろうこともようよう判っている。ただ、あの彼は死んだ訳じゃあない。そうそう簡単に死ぬなとは、事ある毎に言い聞かせてあるから、愚かにもあっさりと失望して自害に及ぶこともなかろうと、それこそ信じてもいる。となれば、

 「…とりあえず、頼れる伝手を全て、当たってみるか。」

 日頃 調子よく使われることで溜めた貸しや借り、こういう時に活用しなくてどうするかと。何をか思い立ったらしき軍師殿。そのままデスク前からも立ち上がり、肩まで背中まで伸びた豊かな蓬髪と、広い背に負うたマントの裳裾をひるがえしつつ、廊下へ向かい歩き出す。まだまだ護られる側に収まるには早いと、毅然とした眼差しは前をだけ見つめているようだった。





  ◇◇◇



 何かしらの気配を感じたのは、七郎次だけではないらしくて。
「…。」
 そこが彼の今現在の持ち場であろうに、壁際の椅子からすっくと立ち上がった小さな監督係の少年は。そのまま周囲の気配をじっとまさぐってから、ついとお顔を脇へ向け、下士官の張り番が守る扉へ足早に向かうと、一礼を授けてからそそくさと出て行ってしまった。虜囚の七郎次にはそれがいかなる場合の段取りかなんてさっぱり判らなかったし、実を言えば…目配せをいただいた張り番の下士官にも、何がどうなってどうせよという意味なのか、さっぱり見当がつかなかったのだけれども。彼が席を外したのなら、自分が一人でこの虜囚を見張っておれということか…くらいは判ったので、とりあえず、何事もなかったようなお顔を保っておれば、

 「え? …っ☆」

 少年候補生殿が出てった扉が再び開いて、どうかされましたかと今度こそ訊こうと顔を向けたその途端、何やら布のようなものが顔へと叩きつけられており。もがもがともがいたのも数瞬のこと、何か妙な匂いがするなと思ったのと入れ替わり、意識が遠のいてその場の真下へと頽れ落ちている。

 「…?」

 そんな一部始終を、こちらは格子の向こうから見ていた七郎次。見張られる立場のこちらが格子の外から素通しだったのと同じほど、こちらからもそちらは端から端まで素通し状態になっており。よって、戻って来た久蔵が、手に持っていた布を張り番の下士官のお顔へ有無をも言わさずという強引さでもって押し付けた次第が、最初から最後まで全て見えており。薬品でも染ませてあったか、もがいて剥がす暇もないほどのあっさりと、ずんと小柄な少年に大の大人が数秒で熨された見事さよ。
「何があったのですか?」
 どこかでガス漏れでも生じたか、それとも外部との気圧調節にと設けられた隔壁が破損でもしたものか。高層圏にあたる穹に出て戦う機会の多い身の者はともかく、そうでない者には気圧変化が肺機能や血流に与える影響がきつかろうからと、それでと昏倒させた…なんていう手筈なぞ、七郎次は聞いたことがなかったが南軍では常識なのかも知れないしと。そこまで色々考えられるほど、まだ余裕があった彼の傍らまでを、つかつかと歩み寄って来た監視役の少年兵さんは、

 「俺を人質にして逃げよ。」
 「え?」

 いきなりなんてまあ大胆なことを仰有ることか。…いやいや、自分を連れて北軍へまで逃げてと言ってる訳ではないらしく、

 “だよなぁ。”

 まだほんの二日ほどしか一緒に過ごしてはいないし、何と言っても格子の向こうとこっちとから見つめ合ってただけの間柄。こっちでの待遇に不満でもあるというならともかく、そんな苛立ちや切迫した気配など、全くの全然、帯びてやしなかったようにお見受けするのだが。それに、

 「なかなか魅力のあるお誘いですが、私はそれへは乗れません。」

 格子の途中が戸になっている部分の錠前の鍵を、昏倒させた下士官の提げてた鍵束から探し当て、開けようとするからには…冗談抜きに逃がしてやろうという構えの彼ではあるらしかったものの、

 「一体どんな企みですか? 私が逃げた不始末を誰かに負わせるおつもりか?」

 それとも、捕虜の世話など面倒になったので、いっそ甲板のどこかからでも突き落として始末でもなさるか、と。一応の可能性として思いはしたが、
“いやそこまで残忍なことを、したいようなお人とも思われないのだが。”
 それどころか随分と懐いて下さっていたような。昨夜なぞ、横になれと掛けるものを持って来て下さりもしたし、遅くに見物まがいに訪のうたらしい誰ぞかを、扉前まで出てっての“勝手に入るな”と睨んで追い払って下さってたの、寝たフリしながら気配を聞いていたから知っている。食事のたびに口許を拭って差し上げたりすると、ちょっと頬染め含羞んで見せたり、そうかと思えばこちらの髪を飽きることもなくの梳いて下さったりと。…あんたら何をそうまで仲良しさんしてたんでしょうか?(まったくです・笑)
「〜〜〜。」
 そんなつもりからではないということか、そのお顔を縁取るふわふかな金の綿毛が頬を叩くほどの勢いで、何度もかぶりを振りつつこちらの腕を取る彼で。どうあっても此処から出したいらしいが、こうなるとこっちにも意地がある。…って、傍から見てるとやっぱり何だか順番が訝
(おか)しいんですけれど、あんたたち。

「此処での騒動を起こして、あなたがたに損益が出れば、これもそれもこたびの会戦の余儘と解釈されて、上の方が意趣返しを構えたそのまま、帰還中の北軍を追うために引っ返したりはしませぬか?」

 そう。兵庫とかいうあの士官が言っていたこと。せっかく逃がした自軍の艦隊がせめて北軍の空域に達するまでは、騒ぎを起こす訳には行かぬ。昨日の今日だもの、まだすぐそこというほど間近い空域にいるはずで、見たところまだまだ十分に戦力を残しているこちらの軍勢なら、追っかけるのは容易かろう。そんな畳み掛けを受けたなら、せっかく生き延びられた者までが壊滅作戦に遭っての殲滅、死に絶えるまでという猛攻に晒されてしまいかねない。そんな運びとなっては嫌だからと切々と訴えているってのに、

 「〜、〜、〜。(否、否、否)」

 これまでにないほど妙に強硬で、こっちの言い分を聞いてくれない坊やであり。こうなったらと、もっと理に添うたことを口にする。

 「ですが。
  たとえ逃げ延びられても、無傷で戻れたなんて怪しいと思われるばかりですよ。」

 それこそ、南軍から何か言い含められて帰って来たスパイではないのかと、疑われるばかりの針のむしろに置かれてしまう。ああ、あの勘兵衛様からそんな疑りの目で見られつつ過ごすなんてぞっとしないと、想像しただけで本当にぞぞっと身震いが出た七郎次であったのだが、

  「それは大丈夫だ。」
  「はい?」
  「迎えが来ている。」
  「は?」




  ◇◇◇



 久蔵が言うには、思わぬ死角からこの戦艦へと取りついた揚陸艇があるのだそうで。あれはきっと七郎次を迎えに来た空艇だと思う…と彼は見たらしい。先に潜入したのは、格のある将官を奪還するためだったらしいが、ただの兵卒をそうまでして取り返しに来ようとは、よほどに酔狂か、それとも死に物狂いの特攻か。

 『どっちにしても、巻き込まれて大きな怪我でも負うのはごめんだから。』

 だから、こっちから熨斗つけて返すのだと。淡々としたお言いようで語った彼であり。そおっと首を出しての左右を伺った廊下では、なるほど、警報が鳴り響きのばたばたと結構な騒ぎになってもいて。この隙をついて、こっちからも逃げ出せばあるいは拾ってもらえるかも。とはいえ、

 「待てっ。」
 「待たれよっ!」

 二人で連れだって飛び出したまではよかったが、さして進まぬうちにも、たちまちどっと、通廊の前後へと人垣が現れた。連行された折には光量が乏しいそれだったせいで、あんまり順路を見通せずにおったので、原理的なところが同じ型ならどこに機関が据えてあり、どこが喫水調整用のタンクかなどといった配置程度でしか艦内見取り図への推測も立てられず。これでは八方塞がりだなと、早速にも立ち尽くしかかった七郎次へと、
「とりあえず後背の最初の角へ飛び込め。そこは壁のすぐ中に様々な配線が走っているから銃火器は使えぬ。」
「…っ。」
 腕の中、羽交い締めにした…ように見せて抱えていた小さな空兵殿が、こそりとそんなことを言い、こちらの腕へぶら下がると、
「離せっ。」
 と、もがきながら口走るという、抵抗の演技をして見せてくださるものだから、
「近づくなっ。このお人が大切ならば、さぁさ道を空けませいっ!」
 同じくらいの小ぶりな刃物でも、短刀や匕首
(あいくち)と違い、しっかりした拵えの本身の小太刀。この彼が身につけていたそれを“奪って”武器としている七郎次であり、そんな物騒なもの、首元へと突きつけられている姿も痛々しい。小柄で華奢な、幼年学校からの特別候補生さんが。周囲を固めたお仲間へ、目許歪めてゆるゆるとかぶりを振って見せるのは、この人に逆らわないでという無言の懇願ででもあるものか。そんな彼の小さな肢体を引き摺るようにし、通廊を後退する金髪の虜囚殿。見るからにやさしげな優男、てっきり単なる文官だろと油断したと、悔しそうに歯咬みする張り番の下士官を、視線とそれから久蔵につき付けた刃を示して後ずさらせて、その坊やが指示したところの細い通路へと飛び込めば、

 「あいつっ!」
 「待て待てっ。そこに撃ち込むはご法度ぞ!」
 「通信用や様々な運用連動のためのケーブルが…っ。」

 成程、彼が言った通りの対処が取られたようなので、ちらと背後の奥向きを見やってから、まだそっちへは先回りされていないらしいと見越した七郎次。久蔵から腕を緩めると、彼の身を懐ろへと囲い込むようにした。
「?」
「もうちょっと付き合っていただきますよ?」
 それは承知していた久蔵。だが、この態勢は?と、そこへの疑問。これでは人質や楯にしているというよりも、護ってやってるとしか見えないような。
“…慣れがない、のかな?”
 誰ぞを自分への攻撃を思い止どまらせるための楯にするという行為は、あんまり褒められたものではないながら、それでも戦いにあっては定番の運びの一つだ。本当に弾避けにするつもりはなくの、場しのぎの傘程度がセオリーであり、人質としてどこまでも連れてゆくなんてのは、後先考えぬ困った愚挙でしかないというのもまた、戦術の一つとして大きに知られていることで。見たところまだまだ若い士官らしいから、実戦の経験が少ないのか…それとも。その矜持に反することは死んだって出来ないとする、今時には珍しい、偏屈な不器用者なのか。

 “そうで居てもいいとする、そんな上官に仕えてでもいるものか。”

 思えば初見のときから、その、妙に覚悟のある眼差しが気になった。強い自負があるというだけではなく、誰かへの絶対信頼に支えられてのゆとりという、融通のある強かさ、とでもいうのだろうか。そのくせ、自覚が薄く、何よりその相手へと依存はしていないのもまた頼もしく。これはきっと、敬慕に値する誰かしら、足止めの捕虜として居残っての命懸けて守っていいとする御主が既にいる証しではなかろうか。まだまだ自負ばかりが真っ直ぐに強い久蔵としては、そういった“誰かへの隷属や恭順”へはまだまだ理解が及ばぬクチだが、こんな形でも飛び抜けた強さや自負を持つことが出来るものかという、新たな“強さ”への理解と把握を得たような気がしてならず。

 “…悪くはない感触だ。”

 ともすれば世界中を敵に回してでもお仕えしたいとするような、善悪踏み違えての盲信的な敬慕が歯止めの利かぬ馬鹿力を発揮する例もあるけれど。それとははっきり違うのだろう、聡明な覇気が心地いい。






  ◇◇◇



 「久蔵。」

 甲板に出てすぐのところで、それなりに手加減してはくれたらしい突き飛ばしに遭っての“解放”されたので。最後の仕上げ、その弾みを装って、追っ手の何人かへさりげなくもタックルを仕掛けて蹴倒してやったのにね。こたびは怖い想いもしただろと同情を集めてばかりな、何とも気の毒だった人質の候補生の坊や。危険な修羅場から早々に遠ざけられての退避した先、甲板の騒動を見下ろせるテラスに立っておれば。追っ手へは加わらなかったか、こっちの彼をこそ保護監督する立場のうら若き黒髪の士官殿が、そっとその後を追って来てくれており、

 「お主には非はないとのことで片付きそうだから案ずるな。」
 「…。(頷)」

 こうまで幼い子供を危険な会戦の場へ同行させたなど、本国で広まればどんな糾弾を受けるやも知れぬこと。よって、居なかった者には失態をおかせるはずもなしという理屈が適用されるらしく。
“きっと殺されてたって同じ道理を持って来たのだろうよな。”
 まったくもって大人の理屈というものは、時に笑えるほど無体にして残酷なことを胸張って主張なさるから恐ろしい。

 「…。」

 久蔵としてはそこまでは見越していなかったようだったが、兵庫殿にすればそこまでも見越していたからこそ放っておいたという順番だったのかも。あの青年へ同情した訳でもなかったが、だからと言って、奮闘しても誉れとなりはしないだろからと見切ったほど、計算高い彼でもなくて。ただ、刀にまつわること、戦うこと以外へは、何へも誰へも余り関心を寄せないこの少年が、今もこうして無事に逃げ延びられるかを見届けようとしているというのが、何とはなく気になったので。

 「もしかして、知ってる相手であったのか?」

 北領と一口に言っても広いとはいえ、色白で金髪で、玲瓏なまでに端麗な容姿というところまで、この少年と何とはなく似ている要素の多かりしだった虜囚殿。知己だったから庇ったのかと、今だからこそ訊いてみた兵庫だったが、それへは呆気なくもふりふりとかぶりを振るばかりな久蔵であり。根気よくも返答を待っていると、ややあって仏頂面のままでぽつりと呟いたのが、

 「いい匂いがした故に。」
 「何だそりゃ。」

 まったくだ。
(苦笑)





 一方、

 「勘兵衛様っ!」

 風防のための重さをもつそれが、それでもひるがえっているくすんだ白のマントを背に負う、蓬髪の君。甲板の片隅へと着艦していた揚陸艇の間近にて、敵からの集中砲火を超振動を振るうことで延々と跳ね飛ばしつつ、七郎次が駆け寄るのを待ち受けていたのは、重々しい軍服装備も雄々しき懐かしい姿。
「どうして…こんな無茶な真似をっ!」
 七郎次とて、自分とあの将官殿とでは格が違うと重々判っていた。たった一人を取り戻すため、危険な仕儀へわざわざ兵を割けるほどの価値があるかどうかくらい、冷静に考えれば判ること。だから居残りも出来たのに、その隙に逃げてと身を投げ出したのにと、論を尽くしての言いたいことは山ほどあったが、

 「儂らには、あのような無能の長物よりお主のほうが大事だよってな。」
 「〜〜〜。/////////

 飛び込んだのを抱きとめて頂いた懐ろの中、そうまで甘い言いようを、低められた良い響きのあのお声で囁かれては、もはや二の句も告げぬというもの。

 「おシチっ!」
 「よう無事でっ!」

 空艇の中から援護の陣を固めておいでだったのは、勿体なくも島田隊が誇る双璧のお二人。押し込まれた揚陸艇の中にて、それぞれからひしと抱きすくめていただいて、
「無体はされなんだか?」
「はい。」
 だって、まだ昨日の今日ではありませぬかと苦笑をし。それにと小さく、新しい苦笑が洩れたのは。ちょっぴり不思議な扱いを受けていたのが、今になって何とはなしに擽ったかったから。

 「とっても大事にされておりましたゆえ。」
 「はい?」

 どういう意味かと聞き返したかったが、そんな暇もありゃしない。とっとと引くぞと手早く発進した新型揚陸艇は、試験飛行にしてはなかなか物騒なルートをば、行って戻ってくることに堂々の成功を収めたのでありました。







  ◇◇◇



 待っていれば必ず自力で出てこようというのが、勘兵衛が双璧二人へと告げた策の全てであり、何ともカンとも無謀なことをしたものであり。そして、何度もくどいが、たった一人の、それも将官クラスにも満たぬ人物を助け出すため。完成したばかりの新型特殊揚陸艇を引っ張り出しての、敵戦艦への隠密潜入という作戦を勝手に執行したというのは。さすがに…単なる一小隊、たかだか空艇分隊の部隊長の独断でやっていいこととは思われず。全員無事に帰還出来たという結果だけでは拭われぬ次第には違いない。例えば…監督担当の将官へは監督不行き届きという叱責も飛ぼうし、万が一にも反撃の攻撃がかかり、何とか帰還だけは出来そうだったところ、それさえ潰えての徹底潰走、全艦沈没という憂き目にでも遭っていたならどうしたかと。その、何とか帰還だけは…をもぎ取った一番の功労者たちだった殿
(しんがり)役、島田勘兵衛以下数名が、本拠としている支部基地へと到着したそのまんま、こたびの作戦の主幹らが雁首揃えた査問会へと召喚されたは言うまでもなくて。先の作戦にて救出して差し上げた某中将閣下からの“寛大な処置を”という上申書も届いてはいるので、まま、あまりな厳罰を下される恐れは無さそうながら、それでも…下手を打てば小隊の分解くらいはされてしまうかも。何せ、隊長ぐるみで好き勝手をやらかしたのだから、一緒にさせといては今後も同じことをしかねぬと、上のお人らが恐れるのは自明の理。
「何か申し開きはあるのかね。」
 あったって聞く耳持たないつもりのくせにと、腹の中にて悪態ついた顔触れも、一応は神妙なお顔を通しており。ただ…七郎次は、

 “…勘兵衛様?”

 紛うことなき首謀者にして、何がどう転んでも厳罰は免れられぬだろう責任者の彼が、だのに、憮然とするでなく神妙を装うでなく、強いて言えば…妙に楽しげというか、鼻歌でも出て来そうなお顔というか気色になっておいでなの、何とはなしに察してしまい。

 “???”

 いくら剛毅なお方だとはいえ、何へでも横柄で不謹慎な構えをなさるというお人ではない。それがわずかにでも理を通した叱責であるのなら、ちゃんとこうべを垂れて粛々とお受けになられるお方だってのに。それが判るのが自分だけという程度のささやかなものとはいえ、どこか妙な気色を帯びておいでであり。だからこその不審へ、七郎次がこちらも人知れずの秘やかに戸惑っていたところ、

 「こちらに、
  こたびの戦線で敵艦潜入中の間者と接触を取った者があると聞いたが。」

 ノックもなしの突然の乱入、
「何だ無礼な…、?」
 いかにも不愉快そうに、上からの鷹揚そうな眼差しを向けかけた将官たちが、だが、相手を見るなり、

 「や、これはっ!」

 あっと言う間にあたふたと落ち着きをなくし、ついていた偉そうな席から飛び上がるようにして立ち上がったほどの闖入者たちは、ひのふの、四人ほどおいでになり。

 「…誰だ?」
 「さあ。」

 あいにくと、島田隊の双璧お二人や七郎次には見覚えのない方々であったのだけれど。それでも…こたびの会戦責任者の皆様が、中将閣下を皮切りに全員打ちそろって飛び上がったくらいの格のお人たちではあるらしく。後で聞いた話では、緊急高速艇を本部大本営からかっ飛ばして来ての、この方面支部へ特攻もかくやという緊急着陸なされたほどもの緊急態勢で来られたのだとか。そんな面々へと向けて、

 「こちらの士官でございます。」

 端とした声が上がり、えっとその主を見やったと同時、背中をポンと押されていたのが七郎次であり。何が何やらと慌てふためく彼を押し出した勘兵衛は、そのまま素知らぬ顔を決め込むばかり。

 「貴官がそうなのか?」
 「は、はい?」

 突然に訊かれても、とんでもなく破天荒な作戦にて救出してもらったばかりの奪還花嫁には、ただただ混乱ばかりが先に立っており。(誰が“花嫁”ですか・笑)そんな彼へ、

 「間者といっても、そんな身分を口にしはしないに決まっておろうが。
  軍人ではないらしき者と、
  お主、敵艦内にて言葉を交わし合っておったではないか。」

 勘兵衛がこそりと囁いたのへ、あっと思い出したのが、

 「あの人でしょか…。
  えと、何ですか今年の作付けのお話を、
  いきなり話しかけて来られた方がいたのですが。」

 食糧庫の監督でもあったのか、軍人とは思えぬ泥臭い雰囲気の番が立ちはだかってた狭い通廊を、どうしても通り抜けねばならなかった段取りがあり。適当に飛び込んだ部屋から持ち出した南軍制服を羽織った七郎次が話しかけることで、何とか気を逸らさせたのだけれども、

 「確か、今年の作付けはカエデ5号が豊作だとしきりに繰り返しておいでで…。」
 「カエデ5号だとぉっ!?」

 語尾も消えぬという間合いにて、叱りつけのように怒鳴りつけて来たのが、一番年嵩の将官様で、
「カエデ5号、本当にカエデ5号と言ったのか?」
 ぐぐいと身を乗り出しての詰め寄られ、あわわとたじろいだ七郎次だが、
「確かでありますっ。カエデとは季節外れなと感じたのと、手のひら広げて5と言われましたので、カエデ5号に間違いはありませぬ。」
 根拠のある記憶と念を押せば、今度はたちまち、額を寄せるようにして、こそこそ・ぼそぼそ、何やら囁き合い始めるお歴々。

 「カエデ5号、まさかカエデ5号とはっ。」
 「それはとんでもなく想定外な事態だぞ?」
 「イツキ2号か、悪くともサツキ13号ではないかとの準備をしておったにのぉ。」
 「カエデ5号、まさかカエデ5号とはっ。」
 「勘弁してほしいものだの、今からそれが判っておろうとは。」
 「カエデ5号、まさかカエデ5号とはっ。」
 「これは早急に対策が必要、早よう持ち帰って言上せねばなるまいぞ。」

 矢継ぎ早な言いようをしておいでだったのが、うんうんと大きく頷かれ、
「いやいや、そなた、ようも覚えておいでだったの。そしてようも伝えてくれた。」
「追って、誉れの賞状なりと、届けることとなろうから。」
「これからも精励なさいませ。」
 はあさいですかとお返事する間もあらばこそ、闖入して来たときと同じくらいの急ぎようにて、どかどか・どたばた、慌ただしくも会議室から出てってしまわれた…もしかしたら本部の偉い人たちだったらしく。
「潜入工作員といえば、恐らく情報部のお歴々だろうから。大将閣下か元帥閣下直轄という部署のエリートさんたちだろうな。」
 ぽつりと呟いたのが良親殿ならば、それへと、
「ま、俺たちには縁もゆかりもないままの、雲の上つ方であろうけど。」
 そうと続けたのが征樹殿。どっちにしたって、何の話かなんて知らなくたっていいことよと、そりゃあ楽しげに笑い飛ばしてしまわれる双璧のお二人が、ふと。大きなテーブルを挟んだ向こう、いまだ呆然と突っ立っておられる会戦責任者の皆様へ、あらためての苦笑を零したのは言うまでもなく。

 「あ〜、あ〜、作戦参謀の皆様がた。」

 一応は声を掛けて行くのが礼儀かと思ったらしい、征樹殿が代表しての声を掛け、
「こういう訳でしたら、おシチ、もとえ…この者を何がなんでも救出して来たこと、決して意味のない暴挙とも思われないのですけれど。」
「う…。」
 何せ、我らには何がなんだか判らない謎の符丁をこの副官が訊いていたこと、本部大本営の大将様がたが ああまでお喜びになられた次第なのは明白なのですし、と。わざわざ噛んで含めるように言上つかまつって差し上げれば、

 「〜〜〜〜。」

 ようも面目潰してくれおって、と。腹いせ半分にどうしてくれようかとねちねちいたぶるつもりだった面々だったが。自分たちでさえ直接にはお言葉いただく機会なぞ滅多にない級の、ああまでお偉い様がたから、彼らが直々に駆けつけての大仰に感謝される働きをしたとあっては…確かに無体な扱いは出来ないと。そこのところの理屈はいやでも判る顛末であり、
「…判った。こたびの一件、機密にまつわる仕儀でもあるがゆえ、特別に不問に付すこととする。」
 よいか判ったなと、あくまでも自分たちの厚情からのことと締め括りたいらしい彼らの言いよう態度へと、

 「それはそれとして。先程のやり取り、口外なさっちゃあなりませんよ?」

 これは良親が目許を眇めてのこちらからわざわざ言い置いたのが、
「カエデがどうのサツキがどうのなんてな文言。迂闊にあちこちで口にしたらば、あの場にいたあやつらが洩らしよったかって、お叱りの仕置きが飛んで来ましょうからね。」
「わ、判っておるわっ!」
 どうやら彼らにもどういう趣旨の符丁かは全然判らなかったらしいとは、この慌てまくりの反応で丸わかり。それでは失礼致しますと、問題児とその保護責任者がそろって退席していって、

 「……………。」

 査問会の議場は一転、不完全燃焼に終わった苛立ちと、だがだがそれを蒸し返してはならぬとする、とんでもないほど上からのお達しとに、見事 板挟まれてしまった老獪な面々の、重苦しい溜息で満たされてしまったのだった。



  ―― 勘兵衛様、あれって一体どういう手妻ですか?

      さてな。儂には何のことやら さっぱりだが。

      またまたぁ、
      こっちの内情がこうまで素早く本部に届いてただなんて、
      間が良すぎやしませんか?


 さぁて、ここで問題です。怒らせたら一番恐ろしいのは、一体誰なんでしょうかしら。
(こらこら) 日頃のあちこちへの貸し借りを全部使ってでもと、そういうことには触れぬようになさるのが常なお人が立ち上がった結果がこの運び。それほどの事態ではあった訳ですが、それにしたって凄まじいコトこの上もなく。そして…何でこんな物凄いお人が“負け戦の大将”なんだかと、のちのちに大戦七不思議扱いされるのも無理はないです、ええ本当に。






  ◇ おまけ ◇◇



 垂れ込める夜陰の帳の中、きし…と、何かが軽く軋んだような音がして。その陰に紛れ、んっんっという息を詰めるような、何かを耐えるような微かな声音が秘やかに撒き散らされる。それから…ややあって、低くこぼれた吐息の気配と、シーツを摺る響きがさらさら起こり。ぱちりと灯された枕灯の放つ、甘い橙の光の中、熱でも出したかと額に張りつく金の髪、大きな掌で掬い上げていただいたは。決死の大作戦にて助け出された うら若き花嫁こと、勘兵衛様が秘蔵っ子、部隊一美形との誉れも高い副官殿であり。熱に潤んだ目許の色香は、昼間の聡明な凛々しさと打って変わってなかなかに妖麗。口許もしきりと紡いだ吐息に打たれての赤々と濡れており。くったりと疲れた様子でありながら、それでも御主の手のひらに頬を撫でられると、ほわりと霞むような笑みを見せるのが、何とも切なく愛らしく。

  ―― きつうしたか?
      いえ。////////

 戦場で槍を振るわせれば、白夜叉に相応しきこちらも阿修羅とまで言われる君だのに。敵陣にあってはさぞや窮屈で心細い想いもしたことだろと、そんな彼をよほどに案じておられた反動か…戻って来たばかりなの、さっそくにも頂いてしまわれてどうしますか、勘兵衛様。
(苦笑) さすがに くたくたになるまで追い上げたは気の毒だったかなとでも思うたか、その愛しい肢体を自らの雄々しいまでの御身へ添わせるようにと引き寄せて、気に入りの髪やらまだ余熱に熱い頬やらをそおっとそっと撫でて差し上げ、眠れ眠れとあやしてやれば。

 「…。」

 あっけないほどすんなりと。無防備な寝顔を晒しての、眠ってしまった七郎次であり。まだどこか稚さの陰も色濃い優しい造作のそのお顔へと、ついのこととて呟いたのが、

 「…この跳ねっ返りが。」

 今になってみれば、彼が何を思ってあんなことをしたかも重々判る。勘兵衛らを助けるため、犠牲になった彼には違いないものの、命をまで投げ出した訳でなく。隙あらば自力で戻る気満々だったのかもしれない。それだとしても、どれほど案じてどれほど肝が冷えたことか。彼を信じてなかった訳ではなく、むしろ、自分の不甲斐なさに震えが起きそうになったというところかと、今になってようよう分析出来た こたびの運び。

 「…。」

 真白い頬を赤くしたまま、くうすうと安らかに眠る若々しい寝顔を見やりつつ、苦笑とも自嘲ともつかぬ笑みを困ったように浮かべた軍師殿。ついつい零してしまった胸のうちはといえば、

  ―― 誰ぞから護ってもらうほどには、まだまだ耄碌してはおらぬからな。

 やっぱりどこか負け惜しみのように聞こえるそれだったりするのでありました。




  〜Fine〜  08.6.19.〜6.21.


 *Y様、見てますか?
  もしもシチが捕虜に取られたら、ダイジェスト編、
  メールでいただいた萌えの数々から
  こんな感じでポコポコリとイメージが浮かんでしまっちゃいましたよ?
  細かいところの中割りはなかなか面倒なので
(おいおい)
  あちこち割愛しているズボラな出来ですが、
  こういう修羅場も有りかしらということです。
  そして、
  ここでも久蔵さんを懐かせてしまってるところは、
  おっ母様パワーの恐ろしさ…という下りに飛びついたのは言うまでもなく。
  (恐ろしさというか、不甲斐なさ?・笑)
  ここまで顔を合わせの関わっていのとなれば、
  さすがに再会後は覚えてないと怒られちゃいますよね。
(苦笑)
  という訳で、これは独立したお遊び噺だということで♪

 *それにしても…結局のところ、
  おさまはシチ相手には負け戦でしょうか、今回も。
(笑)
  海千山千のタヌキら相手に、
  もっと上のタヌキを召喚出来る恐ろしいお人だってのにね。
  もしかしたら大魔王タヌキなのかもしれませんのにね。
  (タヌキは外せない辺り…)
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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